お客様の感想・体験談

●女神プランニングを終了された方からのご感想です。
(福岡 30代 女性)

半年前、自分を変えたいという思いで
ふとのぞいたHPに惹かれて
アンジェリカを訪れました。

ちょうど震災後で体が重かったのですが、
初回カウンセリング後にかなり体が軽くなり
びっくりしたことをよく覚えています。

普段人見知りで周りの人と話すのが苦手な私でも、
かなさんには素直に自分の気持ちを話すことができました。

どんな自分でも受け入れてもらえるという
安心感があり、アンジェリカで過ごす時間が
毎回とても楽しみでした。

また、その時の体調にあわせて
メニューを考えてくださって、
お部屋に伺う度に自分が浄化されているのを感じました。
本当に素晴らしい時間を過ごすことができました。

以前と変わったこと。
落ち込む事が少なくなりました。
落ち込んでもすぐに立ち直っています。

過去の自分を後悔することも減りました。
これまでに起こったことは
今の自分にとって、すべて必要な経験だったと
本当に理解できるようになりました。

マイナスはプラスでもあると考えることが
できるようなりました。

それに伴って自分を認めてあげることが
できるようになりました。

自分を責めてばかりいましたが、
自分を認めて自分の気持ちを大切にしようと
思えるようになりました。

そして、自分を認めることによって
ありのままの子供を認めて
受け止めてあげられるようになりました。

以前より子どもが素直に甘えてくるようになり
親子関係も随分改善してきたと思います。

今は、家族と自分が健康で普通に過ごせることに感謝し、
毎日幸せだと感じています。

実は、前回コーヒーを入れて頂いて
待っている間に・・・
コーヒーの香りでリラックスし
ほっとした気分になり
涙が出そうになりました・・・。

これからもなりたい自分像に向かって
自分なりに成長していけたらいいなぁと思っています。




これからの人生にワクワク・・・

●女神プランニングを終了された方からのご感想です。

(福岡 40代 女性)

女神プランニング」を受けて、
期待以上の自分の変化に驚いています。

それまでの私は、自分に自信がなく
依存心も強いため、何かある度に
不安と緊張がつきまとっていました。

当然、そんな意識では物事がうまく行くはずもなく、
このままではダメだという焦りを感じながらも、
どうすることもできずにいたのです。

そして心身が疲れボロボロの時に、
更に追い討ちをかけるような出来事が重なり、
逃げ道を塞がれた私は、「覚悟を問われた」ように感じました。

もう逃げられないと観念した私はそれまでの自分と
決別し、新しい道へ進むことを選んだのです。
とても勇気が要る決断でした。

今まで逃げて来た事のひとつひとつを、
覚悟を決めて取り組みました。
するとまるで何かに引き寄せられるように
事が展開していき、自分にも自信が持てるように
なってきたのです。

気持ちも前向きになった私は、
「これまでの私と同じように
辛い思いをしている人の役に立ちたい」と
考えるようになり、辿り着いたのが「レイキ」でした。

「レイキ」の自己ヒーリングを重ねると、
自分が宇宙の一部であり生かされている事を感じます。

とても温かな大きな愛情で包まれているような感覚です。
こんなにも自分自身を大切に思いやったことが
あっただろうか・・・

こんなにもリラックスして不安のない状態を
自分で作れるなんて・・・
とても穏やかで、心が平安でいられます。

具体的な変化を挙げてみると、
自分の軸がしっかりして、周囲の影響を受けにくくなった
日常の些細なことにも感謝や幸せを感じられるようになった
将来に対する恐れや不安がなく、
今をワクワク生きることができるようになった
自分に自信が持て、他人に対しても寛大になった
出会う人のタイプがガラッと変わって
素敵な人との出会いが多くなった。
シンクロニシティーが多い
慢性的な体調不良が改善してきた
強力なインスピレーション
他人の目を気にして行動しなくなった
自分が好きになった

他にも不思議な体験があって書ききれないほどです。

女神プランニング」はレイキだけではなく、
ヒーリングをもたらす他の方法も組み込まれていて
毎回楽しみでした。

中でも私が大きな気づきを得られたのは、
「女神アバンダンティア・アバンダンスレイ伝授」。
受け取ることが下手だった自分に初めて気づかされました。

伝授当日、早速受け取ることの実践?
と思える出来事が・・・。

いつもなら遠慮するのに、
その時は自然と受け取ることができたのです。
しかもそこには温かな気持ちと笑顔の交換という
想定外のギフト付き。

受け取ることって、こんなに気持ち良かったんだーと
感動の発見でした。
それからは「有難く受け取って、気持ちよく与える」
を心がけています。

これまで自己啓発や精神世界の本を多く読んだ私でも
理解できなかったことや気づけなかったことが、
女神プランニング」を受けて、まるで自分の内側から
湧き出すように発見されました。

これからの人生にとってもワクワクしています。

山口県(30代女性)  女神プランニングに取組まれてからの後自分の変化を
生い立ちから、綴ってくださいました。

体験手記として掲載させていただきます。

体験手記

●第1話 
『 アンジェリカのドアを叩くまで 』

私は、 子供の頃から両親に褒められた事がなく、

お手伝いをしても
テストで100点を取っても
書道で凄い賞を貰っても、

マラソン大会で上位に入っても、
とにかく褒められる事なく

それが「当然」と
思われているように感じていました。

何をやっても褒められない。

それに加えて、母親の機嫌が悪い時は八つ当たりされる日々。
20歳くらいまで父親が私を甘やかしていたので、
母は余計に厳しかったです。

それを私は愛情と受け取る事が出来ず

「母は私を嫌いなんだ。」

私はこの人の本当の子供では
ないのかもしれない」と思っていました。

学校でも、クラブ活動でも、家でも居場所がなく
早く家を出たかったです。

そして まだ幼い時から
自殺願望がありました。

それは年を追うごとに強くなっていった気がします。
「死にたくない」と言う人の気持ちが全く理解できませんでした。

中学の時、
私はパティシエになりたいという夢を持ちました。

なので高校進学時は食物栄養科がある高校に行きたい
と親に頼みましたが

「子供の夢は変わりやすいから、取り敢えず進学校に
進め。その後は自分が進みたい進路に行けばいい」と
親から言われ、仕方なく進学校に進みました。

そして、高校を卒業したら大阪の製菓専門学校に進みたいと
高校2年からずっと親に言い続けていました。

ところが、
いざ高校3年で進路を決める際にまたしても

「短大に行ってくれ。その後、専門学校に行かせてあげる」
と言われ、とてもショックを受けました。

親は全く私を信頼してない。。
私がやりたい事全てに反対する。。

中学時代までは母親が恐かったのですが、
高校の時には
母が憎くて憎くて仕方ありませんでした。

それに加えて父親まで進路に反対・・・
誰にも相談する事が出来ず、一人で悔しい想いをしながら
地元の短大に進みました。

短大を卒業したら
専門学校に行けるものと思い込んでいた私ですが
  
短大2年の夏、
親が再び「専門学校には行かせられない。
就職してくれ」と・・・

私の両親は私が嫌いなんだ。。
だから何度も私を裏切るんだ・・・

兄と弟は行きたい所に行かせてもらってるのに
私だけ進路を反対される。。

それは私が嫌いだからだ・・・

親の反対を押し切って
飛び出す勇気もなく
就職氷河期の時代に一生懸命働き口を探して、

それでも実家からほど近い建設会社に
事務員として入社できました。

しかし・・
一番なりたくなかったOLになったことで、
自分を責めるようになり
「私は自分の夢さえも叶えられない。自分が嫌いだ」
と思うようになり、生きるのが面倒になっていました。

自暴自棄の8年を過ごしたのち・・・

どうしても実家に住むことに 耐えられなくなり、
当時弟が福岡の大学に行ってて一人暮らしを
してたので、そこに転がりこみました。

その時も勿論、両親は大反対。

特に父親が猛烈に反対していました。
その当時には、子供の時大好きだった
父親を大嫌いになっていましたので、
嫌いな人間と顔を見合す事が無くなって
清々しました。

  
ところが・・・

福岡に行ったのは28歳の時。

理想の自分と現実の自分が
かけ離れていて、
それをどうにかしようと
一人で誰にも相談せずもがいていましたが

その思いがどんどん強くなり自分で自分を
責めるようになっていました。

  
毎日
「生きるのが苦痛だ、早く死にたい」
と思っていて、
  

ついに31歳になった辺りから
眠れなくなってきました。

元々眠りが浅かったのですが、
寝付けない、夜中に何度も
目が覚める、悪夢ばかり見る、で身体が毎日重くて・・・

それが半年続いて・・・

親友に話したところ「それは早く精神科に行った方がいい、
睡眠障害では?」と言われ、

やっとこさ精神科に行ったところ、

「鬱病」と診断されましたその後、うつ病ではない事が判明。双極性障害でした

食欲が全くなくなり、体重がどんどん落ち、
ガリガリに 痩せてしまいましたが
両親は「考え過ぎ」「すぐ治る」
と心配してくれる様子もありませんでした。

  
一度目の入院をした際にカウンセラーに
 

「幼い時の家庭環境に問題があったんだろうね」と言われ、
 

両親を憎む気持ちがどんどん強くなり
ついには本気で自ら命を絶つことを考え始めました。

ただ、私は兄弟が好きでしたので、「自然死」に見せかける
毎日毎日考える事はそのことばかり。

そしてある日、身体が突然動かなくなってしまい
会社を休みがちになりました。

そして、親と一切連絡を取らなくなりました。
携帯電話の電源も切りました。
そしたら母が会社に電話をかけてきて・・・

怒りは頂点に達し、

両親に
「死んでやる! あんたたちのせいで私はこんな病気になった!」
と怒り狂いました。

その後、母からメールが来て
「貴女が居てくれて本当にいつも助かっていた。
どうか死ぬなんて言わないでください。
貴女がいなくなったら母さん、どうなるか解らない」

というような言葉が綴ってありましたが
信頼できるはずもなく
母親なんてどうなってもいい、
自業自得じゃないか
ととても冷徹な人間になっていました。

年が明けて、どうも医師と気が合わないため
病院を変えたところ、2ヶ月の休養を言い渡されました。

当時会社では事務関係は殆ど私一人でやっていて、
会社にとって2ヶ月の休養は厳しいので退職してくれとの
 「クビ通告」が出され、仕事をやめました。

そして、九州大学病院を紹介されてそこに通い始めました。
当時は兄がとてもよくしてくれました。

兄は唯一、私が子供の時からどれだけ頑張ってきたかを
理解ししてくれる大好きな人です。
通院は兄が仕事の合間をぬって連れて行ってくれていました。
兄と居る時が一番幸せでした・・・

両親もやっと事の重大さに気が付き、
私に京都への一人旅を
プレゼントしてくれたり、今までより優しくしてくれました。

で、32歳になった夏に・・・

実家に帰省した際に
「こんなことがしたい」と思い切って両親に話したところ、

またしても大反対されたのです。

福岡に帰ってから数日後の夜、

気が付けば右手首を包丁で
何度も傷つけている自分が居ました。

でも、死にそこないました。

まず弟が応急処置をしてくれ、翌日病院へ。
その後兄が駆け付けてくれてその日、家に泊まってくれました。

どんな時でも私には兄弟がいてくれる。
だから両親に愛されなくてもいい、私には両親はいないと
思った方がいいと思うようになりました。

そして2度目の入院・・・

その時も兄が毎日の様にお見舞いに来てくれ、弟も
着替えの洋服を持ってきてくれたりしました。
同じ入院患者の人に
自分の兄弟のことを自慢したものです(笑)

ただ、色んな自己啓発本を読んで、

「周りの人に感謝の気持ちを忘れないで」みたいなことが沢山書いてあったので
無理矢理に、嫌いな両親に感謝するように仕向けていました。

無事に退院して、気分も安定して来たら、「働かなくては」
と思うようになりました。

30歳を過ぎての再就職がとても大変だということは
重々解っていたので、
医者のアドバイスもきかずに
フルタイムの正社員を探していましたが

なかなか見つからず、
結局、親が探してくれた、実家の近くにある
製薬工場で派遣社員として働くことになりました。

数年ぶりに実家で暮らすことになったのです。
勿論、ずっとそこで働く気は毛頭無く、

数年後には
必ず福岡に帰るんだと強く心に決めて実家に戻りました。

それからの毎日は私にとって苦痛でしかありませんでした。
10ヶ月のブランクがあった私には、
フルタイムで働く事はきつすぎました。

福岡へ帰りたい気持ちが物凄く大きくて、もどかしい日々。
そして、同じ年の6月には最愛のうさぎが他界してしまい
実家にいる意味がなくなりました。

その年の9月に二度目の薬の大量摂取による「自ら命を落とす」未遂。

日増しに両親との生活が苦痛になっていき、
仕事でも人間関係で大いに悩んでしまい、
一度1ヶ月半、休職しました。

復帰後も心身ともに疲れきっていて、
その頃から福岡に頻繁に通うようになりました。

福岡に帰りたいけど
実家の山口県に居ながら
福岡で職を探すのは非常に困難だし、
職が無いと家が探せない。

四面楚歌の状態でした。

そして、去年の2月、
偶然に?
「アンジェリカ」をネットで
見つけたのです。。。

●第2話
アンジェリカでは
色々なコースがあることをHPで知り、
何がいいのか解らないので取り敢えず話を聞きに行きました。

加奈さんはとても優しそうな方で、お部屋も可愛くて
すぐに緊張もほぐれました。

色々と話を聞いて貰っている間に加奈さんは
私の今の状態を肌で感じ取ってくれていたみたいです。

で、女神プランニングがいいかなぁと勧められました。
勿論、全然強制的なことはなく、「まぁ、来たい時においで♪」
みたいな感じでした。
ある意味、拍子抜け(笑)

よく考えて、そのプランを受ける事にしました。
私は与えてばかりで「受け取る」ことが出来ていなかったみたいです。

加えて、グラウンディングも出来ていない状態で
第1・第4チャクラが特に弱いとのご指摘も受けました。

レイキを伝授して貰いながらその時の私の状態を見て
レイキ伝授が難しいような日は他の事(インナーチャイルドを
癒したり)をする、というような感じでした。

テキストもきちんと作成してくれていたので
家に帰ってから「レイキ、どうやるんだっけ?」と
困ることもありませんでした。

伝授後の21日間は毎日朝と晩、
二回づつ自己ヒーリングを
続けて、21日間が終わると朝か晩に一回、
ヒーリングしていました。

が・・・

レイキのファースト・ディグリーの伝授を受けても
セカンド・ディグリーの伝授を受けても、更には
アバンダンティア・アバンダンス レイ伝授を受けても
「本当にこれ、効いてるのかな?伝授できてるのかな?」
というくらいになんの浄化反応もなく、困っていました(笑)

願いは沢山ありました。
だけど、自己ヒーリングしても何も感じない。。。
「きちんと伝授できてないかもしれないけど、取りあえず
レイキやっておこう」という感じでやっていました。

そして根拠も何もない状態で
「絶対に来年の3月までに福岡に帰る!」と、半分自棄になって
アバンダンティアにお願いしていました(笑)

変化が現れたのは去年の夏。。。
再び、不眠症に悩まされ、食欲が落ちて鬱状態に
陥ったのです。

最後に加奈さんの所に駆け込んだ時は最悪の状態の時でした。

加奈さんには前から
「早く両親から離れて暮らした方がいい」
「仕事も変えたほうがいい」と言われていましたが

なかなかそれを実行に移すに至らず、お金が無い、転職の
きっかけがない、具合が悪くても仕事を休めないで困り果てた状態でした。

8月のお盆前・・・
加奈さんから
「もう絶対に仕事お休みしなきゃ!
身体も心も悲鳴をあげてるよ!」と
言われました。

本当はレイキのサード・ディグリーの伝授を
受ける予定だったのですが
余りにも私の状態が悪かったために次回に延期…

「解りました、仕事、休みます」と加奈さんに伝えて
カウンセリングルームを後にしたものの・・・

それでも、「でも実際、仕事が忙しくて休んでる暇が無い」と
まだ悩んでいました。

そこからです、
私の人生が大きく動き出したのは!

●第3話
まず、あれだけ私がやりたい事を反対していた父親が
応援してくれる、と言い始めました。

それは、遠く群馬県に住む弟が
わざわざ一日だけ実家に帰省して
父親に強く「姉ちゃんの将来を真剣に考えてくれ」と
説得してくれたからです。

私が遊びに行っている間に、
弟は両親にそんなことを話していたのです。

勿論、私は弟にはそういう愚痴を一切言った事がありません。
ただ、弟は何となく「感じとった」らしいです、
私が今、最悪な状況にある事を…

弟の言う事には耳を貸す父はだいぶ反省したようです。
弟に「姉ちゃんが福岡に住むにあたって、お金が足りないようなら
その分は自分が出す」とも言ってくれたそうです…(泣)

それで、まず、家族で話し合って、
病院からも強く休職を勧められたこともあって、
お盆明けから3ヶ月ほど休職することに決めました。

休職している間に、
たまたまNHKの朝の連ドラを見るようになり
主人公から「夢を一途に追いかける事」の
メッセージを受け取りました。

これから私が夢を叶える為にとても必要で必須のメッセージです。
「行動しなければ始まらない」
というメッセージが主だったと思っています。

それから・・・
9月下旬にたまたま福岡に遊びに行った際に
立ち寄ったお店で従業員を募集していて、
それに応募した所、運よく受かって
今の会社の引き継ぎと引っ越し期間を入れて
2ヶ月の猶予をくれました。

福岡での就職が決まったことでアパートを探すことが
楽になった私は、たまたまネットで目にした部屋が気になり、
候補地としてメモを取っていました。

10件近くアパートを回った結果、最後に見学した、
私が最初に目を付けたアパートが一番住み心地がよさそうで
しかも家賃がお手頃、駅から徒歩5分弱、新築でネットし放題、
近くに駐車場もあるという好条件物件を手中に収める事が出来ました。

その間もB'zのライブに行けばとてもいい席だったり、宿泊した
ホテルに大好きなプロ野球チームの選手が泊まっていたりと
良い事が連続して起こってました。

仕事は結局、11月で辞めることにしたのですが、私の場合
精神疾患が原因で休職をしていたため「私傷病手当金」という制度
が適用され、給料の代わりにそちらからお金が入ってきていました。

会社が独自で組合を持っていることもあり、
法律で定められている
「給与の6割を支給」という額に
更に2割上乗せされた金額の支給で支給開始から1年半、
連続してもらえるという事も知りました。

更に、会社を退職しても
次に就職先が決まらない限りは引き続き
その手当金がもらえると聞き、

体調と精神面がまだ不安定だったこともあって、
福岡で内定が決まっていた勤務先への就職は
控え、落ち着いて生活できるまでは
傷病手当金を貰って生活することに変更しました。

(実際、福岡での勤務先の給料よりも
傷病手当金の方が金額が高かったのです)

結果的に全て上手くいった状態で、
夢を叶えるための条件が色々と
揃った土地に引っ越す事が出来ました。

私の夢は、
一人でも多くの人に
「体が喜ぶ料理を食べてもらう」こと。

無農薬や有機栽培された野菜が
安易に手に入る方法を探していたところ、
そういう野菜が手に入りやすい所に引っ越していました。

激安スーパーも、大型ショッピングセンターも近くにあり
海はアパートから徒歩2分。
ちょっと車を走らせればとても大きな道の駅があり、
色んな食材が手に入ります。

そして…
受け取った大きなものといえば、会社を辞める際に実に多くの方が
私が去る事を惜しんでくれた事でした。
「私は間違ってなかった」
そういう自信が沸いてきました。

そして、毎晩寝る時に
アバンダンティアに
お礼と受け取りたいもののお願いをしていました。
(今も勿論、毎晩続けています)

去年の10月位から
どんどん自分を受け入れる事が出来るようになり
いつの間にか自分を好きになっていました。

あれだけ、自分に厳しかったのに、
納得いかない日があっても
「これも自分だし、次に頑張ろう。
 この日さえも意味のある大事な一日だったんだ。」と
感謝できるようになりました。

そして、去年の12月・・・
飲みの席で知り合った
ある男性が私の理想にとても近い人でした。

まさしく私がアバンダンティアに
お願いしていた男性に近くびっくりしました。

ただ、彼とは年齢が11歳も違う(私の方が年上)なので、
相手から恋愛対象として見てもらえないだろうという思いがありました。
まだこの時点では「自分優先」ではなく「他人優先」で
物事を考えていました。

今年の1月には
生まれて初めて「死にたくない」と思うようになり

生きている事に・・・
いや、生かされている事に感謝できるようになりました。』

●第4話
『今年の1月には生まれて初めて「死にたくない」と思うようになり
生きている事に、いや、生かされている事に感謝できるようになりました。

今まで全く浮かばなかった「オリジナルレシピのアイデア」が
徐々に浮かぶようになり、意欲的になっていきました。
研究熱心な本来の自分が戻ってきた感覚です。

今、自分の部屋には祖父母(全員他界)の写真を飾っているのですが
祖父母に「私が生まれてきたのはおじいちゃんとおばあちゃんが
戦争時代を生き抜いて、両親を育ててくれたお陰です」などど、今まで
考えたことも無かったような事を感謝し、泪が止まらなくなる夜も
度々あります。

今年の2月、11歳の時から24年間続いてきたとても嫌な「癖」が
急にピタリと止みました。
「この癖が直ったら素敵な男性と出会う!」と、去年から決めていたので
(根拠なし/笑)楽しみにしていたら…

2ヶ月近く連絡を取っていなかった、12月に知り合った理想の男性から
連絡があり、二人で会う事になりました。
そして、今まで知らなかった彼の事を色々と知る事が出来、今、益々
彼に惹かれています。

彼とは今はお友達で、今までお付き合いしてきた男性には感じなかった
「居心地の良さ」を感じています。
あれだけ気になっていた年齢差も全く気にならなくなりました。
それは「自分」の心をまず優先して考える事が出来るようになったから
だと思います。

加奈さんにそれを話すと
「貴女が今、いいものばかりを引き寄せてるから
自然に男性もいい人が寄ってくる」と嬉しい言葉を頂きました!

彼は今、仕事がとても忙しいので連絡を取るのを控えていますが
落ち着いたら、自分の気持ちを伝えてみようと思います。
その先の事は何も考えてないし、考える必要もないかと。
ただ、相手に自分の気持ちを知って欲しいな、と思うのです。

更には3月11日。
その日は家で一人でラジオを聞いていました。
震災から一年…
日本中がとっても辛かったこの一年…
東日本と私をだぶらせながら天皇陛下の言葉を聞いていてふと思ったのが。

「今生きている人間の中で私にとって一番大事な人は誰だろう?」
ということでした。

そして、それが母だと解った時、すぐに母に電話しました。
「お母さん、私、お母さんがとても好きで、世界で一番大事な人です。
同じ女性として尊敬しています。だからもっともっと元気で長生きしてください」
涙ながらに母に訴えている私が居ました。

「人間は言わなければ相手に伝わらない事がある」
ということも「受け取った」のです。

それから一週間くらいして、今度は
「私、お父さんも大好き!!」
と言う事に気が付きました・・・

なんてことでしょう。
あれだけ毛嫌いしてて、「一生、この人とは解りあえない」と諦めていた、
子供の時に大好きだった父親を再び好きになれたのです。

と同時に、両親がどれだけ私を愛してくれているか、やっと
心の底から理解する事が出来たのです。

父親にも電話しました。
「お父さん、お父さんとお母さんのお陰で私は今、とても幸せで
もっともっと生きたいと思う。私、お父さんが大好きで、もっと
長生きして欲しいなって思います。
今までお父さんの気持ちをないがしろにしてきてごめんなさい」
と伝える事が出来ました。

父は電話口でとても喜んでいました。

心の中の、小さい私が飛び跳ねて喜んでいるのです。
「私、お父さんとお母さんの子供で良かったね!
兄弟が世界一だって事は昔から知っていたけど、両親も世界一だね!」
って、とても喜んでいます。

そして、生まれて初めて「早く両親の顔が見たい」と思うようになりました。
一年前の私には考えられない事です。

大金が手に入ったわけではない、
高級ブランド品が手に入ったわけではない。
だけど、お金では決して買う事が出来ないものを私はやっと
「受け取る」ことが出来ました。

毎日が有難くて仕方ありません。
ほんの些細なことで涙が出そうなくらい感動するのです。
「ありがとう!!!」って泣きそうになるのです。

気が付けば、衝動買いが無くなっていました。
「過食」が無くなっていました。

そして、本来の「笑顔」が戻りました。
幼い時の無邪気な笑顔にほど近い笑顔だと
自分でも解るくらいに変わりました。

気が付けばいつも体に力が入っていたのに、それもなくなりました。

これは…
これは早く加奈さんに伝えなければいけない。
伝える必要がある!
と思っていたら、ひょんなことから加奈さんがブログをやっている事を
知り、すぐに連絡を取りました。

そして先日、お会いしたのですが…
アパートから加奈さんのお部屋に向かう途中、やたら男性と目が
合う、というか男性の視線を感じました。
「私、なんか変なのかな?」と不安になるくらいでした(苦笑)

加奈さんは私を見て「全く違う!」と驚いていました。
どうやら白く輝くオーラを私が発しているみたいです。
それで男性の目をひいていたのかもね、と言われました。

勿論、そんな事は自分では全く解りません。
そういう能力は自分にはないと思っているので…

加奈さんに「レイキを殆どしていなくて」と言うと
「上と繋がるのは比較的簡単なんだけど、一番大事なのは
グラウンディングなのよ。貴女はそれが出来ているから大丈夫」
と言われました。

そういえば、何があっても動じなくなりました。
(あまりピンチに立たされることが無い、という方が正しいですが)

あれだけ将来に不安を抱えていたのに、今、無職のこの状態でも
全く不安を感じません。
きっと自分が願っているようになるだろうな、と強く確信しています。
根拠も何もないですが(笑)

良い意味で自分を信頼出来ているし、自分を支えてくれているもの
全てに心からの感謝ができる。。

「私、与えられてばかりでいいのだろうか?」という意味での不安は
あるのですが、私が幸せであるという事実を喜んでくれる人がいる、
ということは、その人に幸せを「与えている」から
それでバランスが取れているのですよね?

今は私を成長させるきっかけとなる情報しか入ってきていません。
まるで「偶然」が「偶然」を次から次へと呼んでいるみたい…

一年前、否、去年の暮れ近くまで、今の自分がこうなっているなんて
予想もしていませんでした。

加奈さんは一年前から「大丈夫よ、いい方向に進むから」と
言ってくれていましたが、それは慰めだろうよ、と思っていたくらいです。

それが、加奈さんが予想した以上に事が進みました。
加奈さんが喜んでくださって、私も益々嬉しくなりました。

今となっては、現在の私が去年の私に「大丈夫よ、絶対に福岡に
近い将来、帰れるから!」と励ましていたかのようにも感じます。

これから「自分を変えたい」人に言いたい事があります。
最初は「こんな願い、叶うのかな?」と半信半疑で良いと思います。
結果的に自分が心の底から欲しかったものが手に入ります。

私は今、欲しいもの殆どを手に入れて、大満足な状態です。
今のままで十分幸せすぎます!
この幸せを一人でも多くの方に味わって欲しいなぁとも思うのです。

表向きの自分が自分を信じていなくても、裏の自分(イコール
本当の自分)が自分を信じている。

そんなことが判ったこの一年でした。。

これからも自分にとっていい方向にしか物事が進まないと
確信しています。(自信過剰ではなく。)

加奈さんをはじめ、今まで関わってきてくれた人たち全てに
お礼を言いたいです。

本当に有難うございました!!!』

o(^-^)o
こちらこそ、本当にありがとうございました。
彼女の体験は、本人でない限り
そのつらさもわからないと思います。

ほんと、浄化の時期はつらそうでしたから
ただ、彼女の覚悟というか
本気で取り組んでいる姿をみていたら
これだけ覚悟してるんだったら大丈夫だなと
という確信はありました。
どれだけかかるかはわからなかったですが
思った以上に早かったことにビックリしています。

彼女自身が変わると決意し、そのときできることせいいっぱいやった
結果が今に至ります。

私が口癖のように
『腹くくれ!』と言っているのはこのことなんですね。

自分自身も、腹をくくったときは
どういう結果がそのときでようとも
今に至っているという事実があります。
今ここにいる自分が誇らしく思える自分で
あることがうれしいのです。

そのときは、一見失敗ととらえられる出来事も
今の自分からみたら、失敗ではなく
そこをとおらせてもらったことで今がある
私にとって必要な出来事であり、結果だったからです。

彼女と同じように
私も、あるとき心の底から湧きあがってくる両親への
感謝の気持ちで、涙がとまらなくなったことを覚えています。

友人や応援してくれている仲間、繋がっている人たち、
クライアントの皆さまに、出会った全ての人に!

なんか大げさな感じがするけど、
両親や友人たちに感謝の気持ちが湧きあがって
涙がとまらなくなる自分に、私ってこんなだったっけ?
って、びっくりしちゃったんですもの(笑)

なによりも、アンジェリカのクライアントのみなさんが
自分の道をイキイキと歩まれていっている姿をみると
こっそり、ガッツポーズをとってしまいますものね(≧▽≦)

人生に失敗なんてございません!